女性の幸せな自立

責任感を手放す

こんにちは。

 

3兄弟の母でワーママ女医のLilyです。

 

このブログでは

子育てを楽しみながら女性が幸せに自立し

母も子も物心両面で圧倒的に豊かで自由な人生を送るための

智慧や方法を紹介します。

 

今日は「責任感を手放す」というお話です。

 

はじめに

 

前回のブログで

 

「がんばらない」と宣言?し

 

今回は

 

「責任感は手放す」と。

 

どんだけ、楽したいの?って感じですが(笑)

 

そうです。

 

楽したいんです。私。

 

楽して、物心両面で、圧倒的に豊かで自由な人生を送りたいので

 

そのための、あくまで私自身がいいと思い、私自身が納得した智慧を

 

紹介したいと思います。

 

目の前に現れる人々が教えてくれたこと

 

基本的には私自身はいつも楽しく過ごしていますが

 

最近、プライベートでも仕事でも、なんとなく私の前に

 

色んなことで困ったり悩んだりしている人がよく現れました。

 

悩みを打ちあけられたりもしました。

 

また、他にはこちらに答えを求めてくる際に、

 

なんだか依存的であったり

 

ちょっとした外的要因で不機嫌になったりする人も

 

こちらが困るほどではないのですが、

 

おられました。

 

そういった人の対応をした後は、なんだか疲れたりします。

 

以前の私だったら

 

人生そんなもので、そんなのよくある事と、

 

深く考えずにいたのですが

 

今は、もう少し、人生を意識的に過ごしたいモードになっています。

 

できるならば

 

自分自身も、私の周囲に現れる人も

 

いつも機嫌よく、人生を楽しみながら過ごしている人ばかりだといいな〜

 

会うと心がワクワクするような素敵な人に会いたい

 

お互いのエネルギーを交換し合うような交流で

 

悩みとか愚痴ではなく

 

明るく楽しい未来のことだけを語り合うような人と

 

出会えるといいな〜なんて、思います。

 

なのになぜ、私の前に

 

悩んでいる人、困っている人

 

そして依存的な人、ちょっとしたことで不機嫌になる人が

 

現れがちなのか?

 

考えてみました。

 

これは、仕事の時にそういう弱った患者さんが来るのはある意味当たり前なのですが

 

それに自分自身が全く影響を受けずに、仕事ができれば特に問題ないのですが

 

何らか少しでも、自分の心理的負担になり

 

影響を受けていることもあると気付いたので

 

あえて考えてみました。

 

「思った通りの人生になる」

 

前回の記事にも出てきましたが

 

 

ここでもやはり、ゴールデン・ルール(黄金律)です。

 

『あなたの人生はあなたの思い描いた通りになる。』

 

 

私が思い描いた通りの人々が現れているのでしょうか?

 

そんなはずはない・・・と

 

私はそんな依存的な人ばかりと、重い気持ちになりながら

 

一緒に過ごしたいわけではない・・・と顕在意識では思うのですが

 

自分には可視化されていない、潜在意識で

 

困っている人々を引き寄せているのかもしれません。

 

目の前に現れる人は

 

それこそ、自分の鏡なので

 

自分の気づかなかった一面を見せてくれることがあります。

 

どうして困っている人や依存的な人が私の前に現れるのでしょう?

 

 

強い責任感

 

人の役に立つ 人を助ける

 

ということは、普通良いこととされていますよね。

 

特に医療従事者は

 

弱っている人を助ける仕事ですし

 

医師は、その責任を負わないといけない立場なので

 

責任を放棄する人だと困ります。

 

私自身は

 

長女ということもあるのかもしれませんが

 

どちらかというと責任感が強い方で

 

周囲の期待に応えてきた方だと思います。

 

そういう人にありがちなのかもしれませんが

 

困っている人がいたら助けたり親切にしたりする

 

悩んでいる人の話を聞いてあげたりする

 

不機嫌な人がいたら「私のせいかな?」と考えたりする

 

一見、とても気が効く良い人に見えます。

 

ですが行き過ぎると

 

周囲のことを、全部自分の責任にしてしまう人

 

になってるかもしれません。

 

メサイア・コンプレックス

 

それの何が問題なのか?と

 

一般的には思われるかもしれません。

 

ですが、有名な心理学者アドラーによると、問題なようです。

 

「幸せになる勇気」より

Amazonはこちら

楽天はこちら

 

他者を救うことによって、自らが救われようとする。

 

自らを一種の救世主に仕立て上げることによって

 

自らの価値を実感しようとする。

 

これは「メサイア・コンプレックス」と言われており

 

劣等感を払拭できない人が陥る状態。

 

人を救うことによって

 

自らが救われようとする。

 

本当の幸せではない人による救済は

 

自己満足を脱することがなく

 

誰一人として幸せにしません。

 

人を助けながら

 

自分の価値を実感することだけを願っている

 

・・・正直、私はそんなつもりじゃない・・・

 

ただ、その人に幸せになってほしいだけなのに!

 

と反論したいですよ(笑)

 

ですが、同時に最近ある経験もしました。

 

プライベートで近しい人が悩んでいたので、話を聞いてあげたり

 

私なりに助言をしていました。

 

ですが一向に事態はよくならず

 

悩み事はより深刻になっていっているようでした。

 

その時気づきました。

 

この人は、私に助言を求めて自分を変えようと努力したいのではない

 

ただ、自分が楽になるために話を聞いて欲しかっただけなのだ

 

それに対して私は

 

なんとか事態が解決するような方法を話していたけど、

 

相手はそれを求めていなかったのだと。

 

相手は変わりたいと思っていない。

 

そればかりか、私が話を聞き、時にはなんとかしてあげようと考えることによって

 

その人自身は、一次的に気持ちは楽になったかもしれないが

 

自分で考え、自分で解決しようとする機会を妨げてしまい

 

事態を悪くしていたのかもしれない・・・と。

 

結局

 

下手な親切は

 

その人のためにもならず、私自身は疲れてしまい

 

誰のためにもなっていないと・・・。

 

 

自分を助けられるのは自分しかいない。

 

今日の参考書はこちらです。

 

「嫌われる勇気」

Amazonはこちら

楽天はこちら

 

「幸せになる勇気」

Amazonはこちら

楽天はこちら

 

これらの本からの引用ですが、

 

ある国の諺に

 

「馬を水辺まで連れて行くことができても、水を呑ませることはできない。」

 

というものがあります。

 

自分を変えることができるのは自分しかいない

 

ということです。

 

これは、アドラー心理学で『課題の分離』として言われているものです。

 

この問題は誰の課題なのか?を考える。

 

「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」

 

それがその人の課題です。

 

自分の課題と他者の課題を分離しなければならないそうです。

 

例えば

 

子供が勉強するかしないのか

 

勉強しないという選択をした時、その決断によってもたらされる結末

・・・例えば受験に不合格など・・・

を最終的に引き受けなければならないのは、親ではない。

 

子供が勉強するかどうかは、親の課題ではなく、子供の課題です。

 

「他者は、あなたの期待を満たすために生きているのではない。」ので

 

親の課題は

 

「たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしても、

なお信じることができるかどうか、愛することができるかどうか」

 

であり、「子供が勉強するかどうか」は親の課題ではない。

 

たとえ家族でも、むしろ距離の近い家族だからこそ

 

課題を意識的に分離していく必要があるそうです。

 

あらゆる対人関係のトラブルは

 

他者の課題に土足で踏み込むことです。

 

他者の課題に介入することは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。

 

まずは

 

「ここから先は自分の課題ではない。」という境界線を知り

 

他者の課題は切り捨てる

 

ことが大切です。

 

 

責任感のある人は依存的な人とセットになる

 

浅見帆帆子さんによると

 

Amazonはこちら

楽天はこちら

 

正義感があり

 

世の中の善悪についてばかり語っている人のところには

 

いつも「悪」が現れる

 

正義や正当性を主張する人には

 

正義や正当性を主張する機会がたくさん出てくるそうです。

 

そこにフォーカスすれば、その状況を引き寄せるので。

 

同じように

 

責任感が強く、困った人がいたら自分が助けて、なんとかしてあげないと

 

と思う人には

 

自分のことでも自分では責任を負いたくない

 

誰かになんとかしてほしいという依存的な人が

 

現れやすいのかもしれません。

 

 

本当に相手のことを思い、相手を助けたいのなら

 

相手の本当の姿を見て

 

相手も自立した人間で、自分の力で出来る人だと

 

信じてあげること

 

ありのままのその人の姿を見て

 

尊敬の念を持つこと

 

その人の「まだ今は変わりたくない。」という気持ちを尊重し

 

その人の立場に立って共感し

 

その人を変えようとも操作しようとも思わないこと

 

なのかもしれません。

 

人を救いたい時、変えたい時に

 

唯一効果を与えることができる思い方は

 

「その人が幸せになっている姿を見てあげる」

 

ということだそうです。

 

身近な人の考え方を変えたいという場合は

 

自分自身がそれを体現するしかない。

 

相手は相手の自由に振る舞う権利があると思いながら

 

自分自身がその姿を実践し

 

あくまで自分の居心地よくなることに集中し、自分が楽しんでいれば良いそうです。

 

変わるかどうかは相手の自由意志がありますが

 

必ず近くにいる人の影響は受けますので

 

少しずつ何かが変わって行くそうです。

 

 

自分を一番大切にする。

 

① 他者を助けたいのであれば

 

結局またここに戻りますが

 

自分にできることは、自分を幸せにすることだけ。

 

自分を愛することができなければ

 

他者を愛することもできない。

 

自分を信じることができなければ

 

他者を信じることもできない。

 

② 分業社会では利己主義を徹底すると利他になる。

 

自分を大切にするというと

自分のことしか考えていないような

自己中心的なイメージがありますが

 

「経済学の父」と言われる、アダム・スミスによると

 

人間社会は「分業社会」であり、一人では生きていけない。

分業社会では

純粋に、自分のやりたいことという「利己心」を追求した結果

結果として「利他」につながり

利己心を追求した先に他者貢献がある

そうです。

 

自分ができるのは

 

「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけ。

 

その選択について

 

他者がどのような評価を下すのかは

 

他者の課題であって自分にはどうしようもできない。

 

自分が自分の人生を好きに生きていけない理由など

 

どこにもない。

 

 

まとめ

 

困った人、悩んでいる人、ちょっとしたことで不機嫌になる人が

 

私の前に現れ

 

ちょっと疲れを感じていました。

 

それは、私が、相手の「悩み」や「気分」は相手の問題なのに

 

自分に「責任がある」かのように無意識に感じているからで

 

つまり「課題の分離」が完全にできていなかったことを

 

教えてくれました。

 

 

私にできることは、これは誰の課題なのか?を考え

 

「他者の課題」は徹底的に切り捨て

 

「自分の課題」のみに集中することです。

 

自分の課題に集中することは

 

決して、自己中心的で冷たい人というわけではなく

 

この分業社会においては

 

「自分の好きなことで、できること」に集中し

 

利己主義に徹することが、他者貢献につながるので

 

徹底的に利己主義になって大丈夫だと

 

わかりました。

 

 

他者のことを思うなら

 

その人のありのままの姿をみて

 

その人が唯一無二の存在であることを思い

 

その人を変えようとも操作しようともせず

 

ただ、その人が幸せになっている姿をみてあげれば良いのだと

 

わかりました。

 

結局私にできることは

 

徹底的に自分の気持ちを一番大事にし

 

自分の心地よい環境や気持ちを守ること

 

だけなのだと思います。

 

「責任感」は手放し

 

何かに責任を持つとすれば

 

「自分の心地よさ」

 

だけでよいのだなと思いました。

 

また一歩「楽」な人生に近づきました!

 

 

 

本日も読んでくださり

 

ありがとうございました。

 

女性が幸せに自立し

 

楽に、物心両面で圧倒的に豊かで自由な人生を送るための

 

助けになると嬉しいです。

 

にほんブログ村 子育てブログ ワーキングマザー育児へにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ

スタディコーチ

-女性の幸せな自立